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哲学のブログ 「欲望」→「循環構造」

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 今日のテーマは「欲望」です。せっかく個人運営のブログを運営しているので、ギリギリを攻めてみたいと思います。

 欲望。生物が持っている根源的なもの。欲望がなければ何も発生しません。皆無気力になって、生命の営みが行われないのですから。

 欲望と一言に言っても様々な種類がありますね。地位が欲しいとか、生きていきたいとか。しかし先ほど少し触れたように、人間特有の欲望と生物がもともと持っている欲望に分けることができそうです。先に挙げた例を使えば「地位が欲しい→人間特有」「生きていきたい→生物が持っているもの」と分けられますね。

 この欲望にはレベルがありそうです。つまり、人間は発展的な生物だから他の生物には見られない欲望を獲得したと考えるわけです。そういえば「マズローの欲求段階説」とかもありましたね。マズローは欲望を階段のようにレベルが上がっていくものであり、下の階層を満たして上の階層にたどり着くような構造をしていると言いました。この説は、なぜか確かにそうなっているというちょっとかわいい理論です。まあ、私の経験から言えば、マズローの言う最大レベルの欲求を満たしたとしても、幸せだとはイコールでは言えないというのが正直なところですが。欲求を満たすことと幸せかどうかという事にも溝がありそうです。

 幸せについて語りだしてしまうと議論が道を外れてしまいそうなので、ここは欲望の掘り下げに注力していきましょう。一番基本の欲望と思われる「生きていきたい」を中心に考えてみましょう。マズローの階層的な構造をそのまま持って来るなら、心の病に罹って「生きていたくないなぁ」と思っている人以外は全て生きていきたいと思っていることになります。なぜならこの欲求が満たされないと他の欲求が湧き上がる余地がないからです。私は現在、何が目的かは知らないけれど、生きていくのを終わらせるために必要とは思えないブログを書くという行為をしていますから、少なくとも今は「生きていきたい」と思っていることになります。そうだったのか……

 しかし厄介なのが、この「生きていきたい」という極めてシンプルな欲求は、その実とても複雑だということです。「生きていくためには何が必要だと思うか」によってさまざまな派生を見せるからです。「経済力が必要だ」となれば「お金が欲しい」になりますし「金だけあっても仕方ない、家族が必要だ」となれば「彼氏彼女、妻夫、子どもが欲しい」になるわけです。このなんとなく挙げた二つの例でいえば、お金の方については的外れと言わざるを得ません。お金はただの紙切れでしかなく、使った瞬時にしか効果を発揮しないものであり、集めても仕方ないものだからです。家族や子供の方は少し複雑ですね。こちらは生物的な欲求と少しかかわりがあるからです。

 アドラーは言いました。すべての悩みは人間関係であると。その理屈から考えれば、生きていくために必要なものは家族であるという主張は割と的を射ているようです。しかしそれでは、全ての人はパートナーを持ち、子どもを持つべきなのでしょうか?

 私の答えはノーです。それはそもそも不可能なことですし、生物学の範疇の中で考えれば確かに一理ありますが、その外に一歩出れば瓦解してしまいますから。そもそも不可能、というのは男女の数が一致しないように染色体の構造上できているので、現代の「一夫一妻制」を採用するとどうしてもあぶれてしまう人が出てしまいます。勿論、この問題そのものは他の制度を採用すれば解決するわけですが、近年は注目もされているLGBTの方々が居ますから、やはり無理があるわけです。

 生物学の範疇を出る、とは天文学などを考えるとわかりやすくなります。私たちは生物である以上、子孫を残すという根源的な欲求を持っており、それが生きていく欲求の理由になっています。だからそれを満たすことが欲求の解消につながるわけですが、それだけが答えではないということです。天文学を考えるとは、星の未来を、地球の未来を考えるということです。近年、地球温暖化という課題が挙げられていますね。確かに、地球の温暖化のペースは人間の影響によって早められてしまいました。しかし問題は「早められた」レベルの話であり「起こりえないことを起こした」ということではないという事です。勿論、生物の進化には時間がかかりますから、ペースが乱れることも課題ではあります。しかし遅かれ早かれこの暑すぎる地球は訪れていたのです。

 地球の長い歴史でみれば、温暖化と氷河期を繰り返しています。極端に寒い時期から極端に暑い時期に向かう途中の段階で人間が生まれ、暑くするペースを速めているに過ぎないのです。この暑い地球という課題は遅かれ早かれ人間が直面していましたし、それを乗り越えればいつかはまた氷河期がやってくるということです。

 さらに言えば、星の一生もわかってきています。太陽は、星の一生の中の一形態でしかないのです。地球はあまりにも他の星と違いすぎますから、これからどうなるのかは私にはわかりませんが、太陽はいつかなくなってしまうことがわかっています。

 私たちが子孫を残し、生物の根源的な生きていきたいを満たし続けて、温暖化を乗り越え、氷河期を乗り越え、孫の孫の孫の……が生き残ったとしたら、太陽の消失という課題にぶつかるのです。

 勿論、孫の孫の孫……の時代にはより発展していて、太陽の消失も乗り越えられるかもしれません。しかし人間は太陽の消失まで生き残れないという見方もあります。生き残れない前提で考えれば、生きていきたいという欲求を満たすためだけに生きることがいかにおかしなことか、少しご理解いただけるでしょうか。

 勿論、現在の「生きたい」欲求も無視することはできません。家族を持ち、子どもを育てることは立派だと思いますし、それができる人をうらやましいと思うことも自然な欲求です。ただ、至上主義はよろしくないかと。

 この世界の構造は「循環」です。歴史も循環。地球環境も循環。星の一生も循環。宇宙すらも球体であるらしい。個人はてんでばらばらのはずなのに、なぜか循環になっている、なってしまう。

 この循環から抜け出したとき、どんな景色が見えるのか。私にはそれが気になって仕方がありません。これがノミが髪の毛の先端を目指して這っていくということなのかな。

 最後はちょっと難しく、リアルな哲学的になってしまいました。今夜のテーマは「欲望」でした。欲望は、生物学的に定義すると単純ですが、その外に出ると崩壊してしまいます。この世の多くは「循環」の構造を取っており、私はその循環から抜け出して世界を見てみたい、というお話でした。

 

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