この世に神は存在するのかーー
私が生まれた現代の日本という国で神は存在できるのか?
そのようなことを自転車をこぎながら考える。
昔は確かに存在していた神や宗教も、現代には科学にとって代わられた。
空に浮かんで見える雲も、現代ではただの水蒸気の塊だと解明されている。
その雲の上にあるのは神殿ではなく宇宙だ。
神は全知全能であったはずだ。
その神が創った人間というものはなぜこのように不完全なのか?
人間はこの不完全さ故に神にはなりえないのか?
科学を追求した結果、人間は思い通りの命をはぐくむことすら可能になったはずだ。
しかし人間が神でないのなら、やはりその命も不完全なのか?いや、不完全だからこそ神と同様なのか?
人間はなぜ科学するのか?人間が目指しているのは自身が神になることなのか?
私は自身が神になる方法を知っている。
紙とペンがあれば人間は文字を使って創造神になれる。絵が得意なら絵でもよい。
創造することは案外簡単だ。神になりたいのであれば文字でも絵でも創造をすることだ。
幸い、「私小説」という分野がある。自分の今までを書くことで誰でも1作品は素晴らしい小説を書くことができるということだ。
紙の中の世界で私は神になることができる。
生きるとは果たして何だろうか?
私の年齢は25歳でまだまだ若い方に入る。
家族も健在で、まだ死というものを理解しているとはいいがたい。
子どももまだいなくて、というよりも結婚もしていないのでまだ親の気持ちも分からない。
毎日会社に行って労働力を売り飛ばす日々。対価として得るお金で暮らす毎日。
遺書を書こうとして、遺書を残す相手がいないことに気が付いた。だから結婚しようと思った。まだしていないが。
別に遺書を書こうとしたのは死にたかったからではない。
もっと上の年代が行うことを若いうちにすることによって、何か新しい発見をしようとしただけだ。
とてもよい発見があった。私はひとりぼっちだということがわかった。遺書を親宛てに書くには親不孝だ。
神が存在するのならば、なぜ私はこのように苦しまなければならないのか?
もっと幸せに暮らせるようにしてくれてもよさそうなものだ。
この世界はどこなのだろう。
昔読んだ漫画では、この世界こそが「天国」であるというものがあった。
確かに、日本では天国のような世界かもしれない。お金さえあれば欲しい物は何でも手に入る。
しかしこの世界が天国であるというには少しかわいそうな境遇の国もある。
なぜ日本はこんなにも豊かなのに幸せではないのか?
幸せとは何だろうか。
何をどうすると幸せになれるのだろうか。
私は一人が嫌いだ。
人と一緒に暮らすようになって、一人がいかに寂しいかを知った。人間の死因の原因も孤独が大きく関与している。
だから、一人で暮らすよりも誰かと一緒に暮らしているときの方が幸せなはずだ。
今は…幸せなはずだ。少なくとも周りからみれば幸せに見えるらしい。
それなのになぜこのような記事を書くのだろうか?幸せだと胸を張って言えないのはなぜだろうか?
これは私の時間だ。私の人生だ。人生とはダンスを踊るようなものだ。刹那が延々と続くことで作られる一瞬だ。
だから、私の自由にしてよいのだ。どの会社に私の時間を売るかは私が決めることができる(採用されるかは別にして)。
私は一体何がしたいのだろうか?何をすれば幸せを感じられるのか?
自分がやりたいことを見つけることは案外難しいという人がいる。やりたいことなど簡単には見つからない、と。
私は幼いころから本が好きだった。読む事が好きで、書くことも始めた。勉強も好きだった。
この世界の「知の核」は哲学であった。すべてのものに哲学が関係している。
「人間は考える葦である」という言葉がある。
その辺でぼうぼうに生えている葦のように、人間はその辺で淡々と哲学してしまう、という意味だ(多分)。
哲学しない科学者はいないし、哲学しない経営者もいない。
では、私は何を哲学するか?哲学と何を掛け合わせるのか?
もっと知りたい。もっと勉強がしたい。まだ、全然知識が足りない。
そこで得た知をどのようにどこで発揮し、社会に還元するのか?
私は勉強が好きだ。好きだから勉強する。それだけだ。
私は物語が好きだ。好きだから創造する。それだけだ。
好きなものを極めることだ。そして幅広い教養を身に着けることだ。英語ができると尚よい。
私が好きなものとは?本を読む事?勉強すること?物語を書くこと?
自分の人生、好きなことをしてよいのだ。死ぬときに言う言葉はこれだ。
「もっと自分の好きなことをして生きればよかった」と。
さて、最初の問いから大分脱線してしまった。最初の問いは「この世に神は存在するのか?」であった。
結論としては、人間一人一人が神だと言える。
自分の人生、思い通りになったことがない、と?
そのようなはずはない。人間生まれたときから選択の連続に巻き込まれている。
無意識の選択や小さな選択も含めて、現在は選択の結果なのだ。
まだ創作活動をしたことがない人は、一度世界を創造してみると良い。文章でも、漫画でも。
この世界の無意味さが愛らしく感じられるはずだ。この世界は無意味であるから面白いのだ。
事象に意味をつけることは人間の仕事だ。