日本の田舎の森の中、古い家の中に老夫婦が住んでいた。
彼らはまだ囲炉裏で暮らしていた。
火箸でもって炭を転がしつつ、鍋を吊るして料理を作る。
彼らはお揃いの茶碗、箸を使っていた。
実は、マイ茶碗やマイ箸を使う文化は日本独特の文化だ。
何年も何十年もこの夫婦はこの古い家の中で同じ茶碗を使いながら暮らしてきた。
自然の営みの中で暮らしてきた。
彼らはこれからどうなるのだろうか?
どちらか先が逝ってしまうのだろうか?
残された方はどうするのだろうか?
しかしそのような先のことは放っておいて、今日も今日を噛みしめて生き続ける。
そんな夫婦だった。
お釈迦様は言った。
死を考えるからこそ今日の生を大切にすることができる。
生がこれから続くとは限らない。
生物である以上、いつかは終わりが訪れる。
しかし私たちは忙しさにかまけて後回しにする。
大切なことほど後回しにする。
私はまだ若い。
あなたもまだ若い。
あなたはもう若くないと思っていても、あなたより年上の人からみれば十分若い。
やりたいことをやろう。
この自由な国に生まれたのだから、自由を謳歌しよう。
自由には責任がつきまとう。
自由は楽ではない。
しかし他人に操られる人生からおさらばしたいのであれば、仕方ない事だ。
私たちは愛される術を知っている。
しかし愛する術は知らない。
愛することを学ぶということが愛であり、子育てだ。
よき夫婦になれますように。
三題噺からブッダの教え、そしてアドラー心理学より。