私は、精神障害を持っています。
精神であれ、身体であれ、知的であれ、障がいを持っている場合に必ず悩むことになる項目が、オープンかクローズかです。
就職活動をする際に、企業側に対して障がいを告知する(オープン)か、告知しない(クローズ)かでわかれます。
ここの決定は、意外と大きい決断でして、ハローワークを使う際に窓口が変わるなどの影響があります。
オープンの場合は、障碍者雇用枠での応募に。
クローズの場合は、一般の方々と全く同じ条件で戦うことになります。
まあ、よく考えてみれば、身体や知的の場合、見るからに障害がわかってしまう場合も多いので、ある意味精神特有の悩みといえるのかもしれません。
私は、ぱっと見てわからない障害なので、それなりの悩みもありますが、見るからにわかってしまうというのも、それはそれでつらいのだろうと思います。
1.クローズの検討
このようなブログを書いているくらいですから、私はオープンなのですが、昨晩少しだけ「クローズでも行けるのでは?」という話が家族と出ました。
オープン就労の場合、職が見つかるまでに長い時間がかかるけれども、その職場で働き続けることができる率も上がります。
クローズ就労の場合は、職が見つかるまでには時間がかかりませんが、その職場になじめずにすぐに辞めてしまう傾向があります。
私は、前職でクローズとオープンの両方を体験しました。
その経験から考えて、オープンの方が良いだろうと考えています。
主治医にも、オープンが望ましいといわれています。
それでももう一度クローズを考えてみながら、この記事を書いていて考えがまとまらないかしらと期待しています。
2.現状はやはりオープン
現状の結論としては、やはりオープンかなと思います。
オープンとクローズを比較した時に、どちらの方がより社会的に意味がありそうか?という視点で考えてみました。
確かに、オープンだと前途多難です。
知的の方しか取らない会社があったり、身体の方しか出世できない暗黙のルールがあったりという記事も読みました。
しかしクローズで戦う、ということは、自分の障がいを隠す、ということだと思います。
自分のことを自分で認めないということなのではないでしょうか。
3.例え:無名の資格
例え話です。
無名の資格を取得するときと同じ発想をしてみました。
無名の資格を取得して、履歴書の資格欄に書きます。
この時、自分の採用には、資格は効力を発揮しません。
なぜなら、無名の資格なのでどういう結果を出すかが、面接官には予想ができないからです。
その無名の資格が効力を帯びる瞬間は、自分がその会社に入社して、かつ功績を残したときです。
そして自分の評価が上がると同時に、これからその会社の採用を受ける同じ資格を持った人の評価が上がります。
自分の評価だけではなく、これから採用試験を受ける人の評価が上がるのです。
しかしここでさらにもしもで考えてみます。
「この資格は、履歴書に書いても効果がないだろうから、書かなくていいや」と書かなかったとします。
そうすると、例え業績を上げることができても、自分の評価は上がるかもしれませんが、これから採用試験を受ける人の評価が上がることは、絶対にありません。
4.オープンで働くという意味
ここまでの例え話の「資格」を「障害」に当てはめなおすと、私の言いたいことが伝わるのではないかと思います。
私が現在、就職活動にオープンで苦労する理由は、社会的に理解されていないから、ということができます。
例えば、精神障害を理解していない方の発想として「サボっているだけでしょ」というのが代表的かと思います。
本当は、脳がおかしく働いているのですが、見た目にはわかりませんからね。
私が、クローズで就労して頑張ったとしても、あくまで一個人の頑張りにすぎません。
でもオープンで頑張ったら、同じ病気の人たちを元気づける結果を出すこともできるかもしれません。
だから私は、オープンで働くことに意味があるのではないかと思うのです。
5.すべての個人が特殊ケース
そもそも私は、障碍者と健常者を分けるという発想が、いまいちよくわかりません。
健常者を含むすべての個人が特殊ケースだと考えた方が、よいのではないかと思います。
その人が今まで生きてきた背景とか、これから抱える問題を性別や年齢である程度予測することはできても、断定はできないと思います。
障害というから、なんだか特殊な世界で、自分には関係ないと思ってしまうのであって、個人個人の事情だと思えば、もっと生きやすい社会になるのではないかと思います。
6.例え:独身の男性
例えば、独身の男性。
現代日本において、独身の男性である、というある意味のレッテルは、マイナスに作用します。
人事評価的にマイナスなのです。
なぜなら、これから起こる問題に対して対処できないと思われているから。
例えば、親に介護が必要になったら?
結婚していれば奥さんに任せることもできるかもしれません(その発想もおかしいと思いますが)、しかし独身では、その人が介護を理由に退職するしかありません。
独身の男性たちからは、ブーイングが聞こえてきそうですが、今までは女性だというだけで人事評価はマイナスでした。
女性は出産・育児があるから、結婚して退職するのがよろしいというわけです。
さすがに現代でそのような女性差別的な発想を公然と発信する方はいないとは思いますが、対象を独身男性に切り替えてよいということではありません。
別に、女性の私が、独身男性の評価を下げることはおかしいと主張することも、何らおかしいことではないと思います。
7.私という個人
同じ病を患った人たちを元気づけたいから、なんてかっこつけすぎな気もします。
家族には、そのようなことをあなたが行う必要はない、といわれそうです。
それでも、せっかく障害という世界に足を踏み入れたのですから、その中で環境を作っていく試みをしてみてもいいのかな?と思います。
男でも女でもなく、健常者でも障がい者でもなく、私という個人をみてほしい。
それぞれの個人にズームアップした社会の方が、きっと今より住みやすいと信じています。