本日は私が料理する目的について載せます。
目次
1.これまでの目的
基本的に私は料理をしませんでした。
学生の頃には全然しませんでした。
一人暮らしの時にはとても簡単なものだけ少し料理しました。
実家に戻って、また料理をしなくなりました。
彼と同棲を始めて、仕事を辞めてから料理を始めました。
だから、私の料理歴はせいぜい2-3か月程度なものです。
そのように短い期間ですが、私は目的を持って料理していました。
その目的とは、「彼と一緒に食事を摂りたい」という事でした。
彼は基本的に外食でした。
しかし私が料理を作って待っていると、帰って来てくれたのです。
その為、私のモチベーションは高かったです。
しかし今後、この目的が使えなくなりました。
彼は私が料理をしなくても家に居るようになるのです。
その為私の料理をしたい欲求は下がって行きました。
だから、もう一度目的を考える必要性が出てきたのです。
2.料理する意味
グーグルで「料理and目的」で検索しました。
すると「NHK」の「解説委員会」「解説アーカイブス」がヒットしました。
その中の「料理研究家」の「土井善晴」さんの記事を参考にしました。
この中で気に入った記述を引用します。
料理は愛情
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/262438.html
まさにどストレートな記述ですね。
土井さんの奥様が娘さんに料理をふるまっている様子の描写の後で書かれた記述です。
豪勢な料理よりも、母が愛情を込めて作ってくれた料理の方が良いという意味合いで出てきます。
無条件で料理を作ってやりたかった、としか言えないところに「料理する意味」の本質がある
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/262438.html
これは先ほどの引用のすぐ後に出てきます。
土井さんの奥様は、土井さんが作った料理があるにも関わらず、娘さんの帰宅を待って料理を始めました。
その理由は「無条件で料理を作ってやりたかった、としか言えない」わけです。
彼に私の料理を無条件で作ってあげることができれば、そこに『「料理する意味」の本質』が現れるのでしょうか。
料理することはすでに愛している。食べることはすでに愛されている」
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/262438.html
この記述が一番グッと来ました。
なるほど、料理をすることは愛情表現な訳ですね。
この記述を読んで、私はアドラーの考え方を思い出しました。
人は愛される術を既に知っている。しかし愛する術はこれから学ばねばならない。
そのような趣旨の言葉を残しています。
料理を作ってもらう立場の私から、料理を作る私になる事によって、私はひとつ人間的に成長できるわけです。
これはなかなか良いのではないでしょうか。
3.料理する目的
さて、では結論を書きます。
私が料理する目的は「彼に愛していると伝える為」です。
また、彼から愛されていると感じる為に彼の料理も食べたいな、などと思いました。
本当はアドラーの「嫌われる勇気」を読み返して、彼の言葉を引用したかったのです。
しかし何故か本棚から見つかりませんでした。
もう一度読み直したいと思っていたのに残念です。
それはともかく、私は愛することを学び、人として成長し、彼に愛を伝える為にこれから料理をして行きたいなと思います。