2020年6月、初夏である。
世間を賑わせていたコロナウイルスは、日本では終息した。
世界的には、まだ感染が広がっているものの、日本に住む私は、結局罹る事もなく平和な一日を過ごしていた。
たまの休日だったが、やることもなく暇である。
家の外で育てているつる草の朝顔を見ていると、家の前の駐車場に車が一台入って来た。
見慣れた車だった。
親戚のおじさんが、様子を見る為にやってきたのだった。
おじさんは、家に上がり込むと、陽を避けるようにして涼んでいる。
おじさんは、ふと花札を取り出した。
私と勝負しようというのである。
私は、花札をゲームでプレイしたことはある。
だが、本物の花札では、出せる札が光ってはくれない。
すると祖母がやってきて、私の側についてくれると言う。
勝負そのものには関係せずに、助言をくれると言う。
そうやって私とおじさんの花札による対決が始まった。
それがおじさんとの最後の夏の想い出になるとも知らずに。
以上が本日の三題噺でした。
今回のお題は「つる草」「おじさん」「カルタ・花札・トランプ」でした。
比較的書きやすいお題ですね。
最後をああいうオチにした理由は、私が最近人間の在り方について考えるからです。
突然ですが、1万年後などの遠い未来には、太陽が爆発してなくなるそうですよ。
勿論、その頃私は生きていませんし、私が子どもを産んだとしてもその子も生きていないでしょう。
しかし人間が環境問題などを何とか解決して生存していった先にある課題は、太陽の爆発なのです。
最近、よく太陽が爆発したらどのような世界になるのだろう、と現実の世界と重ねて考えることがあります。
ひたすら闇が広がるところしか想像できません。
太陽すらない闇に、目が慣れるということはあるのでしょうか。
などと抑揚のないことを考えていると、人間の死というものが、どうやら身近に感じられ始めたようで、このようなオチにしました。
何でもない日常に忍び寄るもの。
そのようなものを感じてもらえればうれしいです。
ちなみに私は、太陽爆発問題を、悩みを打ち消す為に使います。
「今日は嫌なことを言われたなぁ」とか、太陽が爆発することを想えば、大した悩みではありません。
太陽云々についての意見は、もう少しまとまってから改めて記事に出来ればと思います。
……三題噺より解説の方が長いじゃん!