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読書 大トルストイ全集 第9巻

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前回「死とどう向き合うか」という本を紹介しました。

その本の中に、トルストイの「イワン・イリッチの死」という作品が取り上げられていました。

興味を惹かれたので、この作品を含むトルストイの全集を借りてきました。

今回はネタバレありで紹介したいと思います。

1.著者情報と本の概要

タイトルにもある通り、この本は、ロシアの文豪である「レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ」によって書かれたものです。

この本は、昭和10年(1935年)に刊行されたものです。

その為、旧漢字がところどころに使われており、読むのに苦労しました。

しかしトルストイの作品のテーマは、深く難しくさらに興味を惹かれました

私の目的は「イワン・イリッチの死」ですが、ついでなので第9巻全てを読み切ってしまおうと思います。

このブログで分かりやすく紹介できたらなと思います。

2-1.クロイツェル・ソナタ

このお話しは、列車の中で怪紳士の口から語られる事件についてのお話しです。

外国の列車らしく、列車の中では多くの人種や考え方を持つ人々が同席しています。

まず展開されるのは、一般紳士と淑女によるその頃の一般的な恋愛観です。

この時代は、女性が家の中でずっと暮らすような時代が終わりを告げて女性の権利が叫ばれるようになった時代である様子でした。

過去の女性に対する考え方に、一種おぞましささえ感じました。

一般的な恋愛観の描写が終わると、怪紳士の吐露が始まります。

この紳士は、ある事件を起こしています。

その事件のきっかけが、クロイツェル・ソナタでした。

クロイツェル・ソナタとは、ベートーベンのヴァイオリンソナタのことです。

この怪紳士が起こした事件というものは、自分の妻を嫉妬から殺してしまうというものでした。

妻は、不倫をしていました。

その不倫相手と合奏していた曲がクロイツェル・ソナタだったのです。

こういうお話しでありますから、殺人に関する描写もありますが、メインは女性に対する考え方になっています。

特に中間で描写される怪紳士による恋愛観は、不思議なものがありました。

怪紳士は、妻と過ごした時間や起こした事件の経験から、独自の恋愛観を提唱します。

それは、肉体的愛の絶対的な否定でした。

結婚するまでの期間では、肉体的愛は、否定されています。

しかし一度結婚すると肉体的愛が認められ、子どもを産むことも推奨されるようになります。

また、怪紳士と妻の結婚生活を支えたものも、肉体的愛でした。

怪紳士と妻は、様々な理由を付けたは、喧嘩をします。

しかし喧嘩を乗りこえる手段は、話し合いではなくいつも肉体的愛なのです。

怪紳士は、肉体的愛を葬り去る事、つまり子どもも望まずに自愛することを提唱しています。

そうしないと、全ての人も自分と同じ道を辿る可能性があるのだと……。

私も確かに、喧嘩を肉体的愛で終わらせる部分には、思い当たる節があります。

子どもを要らないなどという意見は、衝撃的ですが、考えてみるテーマとしては、面白いのではないかと思います。

「愛」とは、何でありましょうかね……。

2-2.イワン・イリッチの死

今回は、この小説を目的にこの全集を借りたのでした。

この作品の主人公(イワン・イリッチ)は、亡くなってしまうのですが、その亡くなる際に心理描写が行われます。

自分が死ぬときの心理が描写されているのです。

そこに興味を持って、読み始めたのでした。

最初の場面は、主人公のお葬式から始まります。

そこから主人公の過去に話が遡り、病気に対する描写に移って行きます。

主人公が一番苦しんだことは、家族や医者が「主人公が死ぬこと」に対して理解しないことでした。

主人公は、既にもう死ぬことを感じているのに、家族は薬を飲めばまだ治ると勧めます。

この「死から目を背ける行為」が主人公を苦しめました。

これは、主人公自身についても同じ効果をもたらしました。

主人公の今までの上流階級の生活も死から目を背ける行為だったのです。

そのことに気が付くことで、主人公は死の間際に落ち着いて死を迎えることができました。

しかしそのことがわかっている人は、主人公だけでした。

もはや痛みで家族に何も伝えることはできませんし、傍から見ればずっと同じように苦しんでいるように見えたからです。

私は、まだまだ若いですけれど、死に対して考察することが、自らの死の恐怖を取り除く為に有効なのだと思いました。

2-3.祈り

短いお話しでした。

小さな子どもを亡くした母親のお話しです。

母親は、子どもが亡くなったことを認められません。

そして神に対して、あんなに祈ったのになんて酷い事をするのか、そのような神は信じない、と思います。

しかし寝室で眠ると、天使が召使に姿を変えて現れました。

天使に母親は、説得されますが、それでも認めることができません。

結局天使が、亡くなった子どもが老人になった姿を夢の中で見せて「このような人間になる事がわかっていたから神はその子の命を奪ったのだ」と訴えます。

そして起きた母親は、子どもの亡骸に寄り添って泣き出すのです。

トルストイの小説を読んでいて共通することは、神に対する描写であるように思います。

日本教である私にはいまいちピンと来ないのですが、きっとキリスト教などに明るい人にはよくわかる描写なのでしょう。

人は皆、今の状態がずっと続くと考えています。

未来も想定通り移っていくと考えてしまいます。

しかし現実は、連続的に常に変化しており、今の状態が続くこともなければ、想定通りに進む事もないのです。

私も今の生活をあとどのくらい続けられるでしょうか。

仕事をしたとして、ひとり暮らしをしたとして、或いは結婚したとして、幸せになっていく……そのようには進まないのでしょうね。

今を一生懸命に生きようと思います。

2-4.コルネイ・ワシーリエフ

今回もロシアが舞台でして、主人公は、金持ち主人のコルネイです。

コルネイの妻が、あるとき不倫をします。

それを知ったコルネイは、妻を叩いて近くに寝ていた娘の腕も折ってしまいます。

すぐにコルネイは、家を飛び出して、17年間姿を眩ましてしまいます。

そして17年後にコルネイは、巡礼者としてこの村を訪れます。

その際にたまたま腕を折ってしまった娘と再会します。

しかし当人同士は、それとわからぬまま、巡礼者として一夜泊めてもらいます。

その晩に話をしていて、コルネイは娘であることに気が付きます

翌朝にコルネイは、自分の家に行ってと会います。

コルネイは、自分の死期を悟っていました。

村を訪れた時には、妻に憎しみを向けようと考えていましたが、娘と会ったことで妻に別れを言いたいと思い直しました。

そして妻の下を訪れますが、怒って追い返されてしまいます。

再びもう一夜だけ娘の家に泊めてもらうことになったコルネイですが、その夜に亡くなってしまいます。

妻の方も夜遅くまでコルネイを追い返したことを考えていましたが、直に死期を悟って和解しに来たのだと悟ります。

翌朝に妻は、コルネイと和解して一緒に暮らすために娘の家を訪れますが、既に遅いのでした……というお話しです。

印象的なシーンは、コルネイが亡くなる直前に娘に赦してもらうシーンです。

コルネイの方は、娘だと気が付きますが、娘の方は、最後までコルネイに気が付きません。

それでも娘からの許しの言葉で、救われるコルネイなのでした。

そして妻がコルネイと和解しようと考えるという展開が、私には意外でした。

結局間に合わなくて、すっきりしない終わり方ですが、やはり考えさせられるテーマでした。

人と喧嘩をした時にはとにかく出来るだけ早く許すこと、しみじみと感じます。

2-5.苺

トルストイの小説を読んでいて、初めて人が死ななかった小説となりました。

ロシアの当時の情勢についての描写や、高貴な人間と下々の者達の相違の描写があります。

正直言って、この「苺」という小説から何を読み取れば良いのかはよくわかりませんでした。

ただ、苺を摘みに行った時に狼に襲われなくてよかった、それだけです。

情勢の描写については、ロシアの事を勉強しないとどちらともいえないと感じました。

ただ、最後のシーンで主人公の主張が新聞に載って認められたとありますから、主人公の主張をトルストイの主張と読む事ができます。

ともかく、次の作品に進んで行きたいと思います。

2-6.何の為に?

この小説の舞台は、ポーランドです。

ポーランドとロシアが戦争をして、ロシアが買った様子です。

そしてポーランド人が迫害を受けている町から、主人公達が逃亡しようとする話です。

タイトルの「何の為に?」は、ヒロインが娘と息子を亡くした時に、何の為に彼らを失わなければならなかったのか、という問いです。

以前読んだ「祈り」という小説と同じ問いですね。

戦争を経験したことがない私には、この小説の設定が少し難しかったです。

やはり著者が生きた時代や国の事前知識がないと、少し難しい面があるかもしれません。

しかしテーマ部分については、問題なく理解出来ました。

全てはヒロインのせいであると描かれています。

確かに、逃亡を計画したのも、ばれてしまうきっかけを作ったのも彼女でした。

しかし密告したコサックも自分の行いが正しかったかどうか葛藤するシーンには、考えさせられるものがありました。

戦争は、亡くなった人だけでなく、生き残った人にも暗い影を落とします。

少しでもこの平和な世界が続くといいな、と思いました。

2-7.スラアトの喫茶店

タイトルのスラアトとは、インドの町のことです。

今回の小説の舞台は、インドのスラアトの喫茶店です。

スラアトの町には、航海によってさまざまな国の人が訪れます。

舞台の喫茶店では、神を信じられなくなった神学者の発言をきっかけにして、様々な国の人たちによる宗教論争が始まります。

最後に話を振られた孔子の弟子が、太陽についての逸話を語り、いかなる宗教も否定してはいけない、と述べて終わります。

宗教についても私の興味があるところでしたので、楽しく読む事が出来ました。

また、最後のオチに孔子を持ってくるとは、著者の懐の大きさを伺えます。

「スラアトの喫茶店」を書いた人物は、トルストイではありません。

トルストイはロシア語に訳しただけです。

「ベルナルデン・デ・サン・ピエル」という方が著者です。

日本では小説の中で宗教のことについて論じることは、少ない気がします。

しかし外国では当たり前のことなのかもしれませんね。

3.まとめ

本当はもっと続きがあったのですが、図書館の返却期限が来てしまったのと、私の意欲が尽きたので、ここまでとさせていただきます。

しかしトルストイの作品は、私に新しい世界を見せてくれました。

また機会があったら、全集ではない形で読みたいと思います。

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