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哲学のブログ 「時間の価値」→「余暇時間とは」

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 今日のテーマは「時間の価値」です。

 朝のテレビ番組で夏休みの特集をしていました。話題はこうです。「夏休みも終盤である。子ども達には宿題が出ている。しかし宿題をしていない。スマホばかり見ている。どうすれば宿題を自発的にするか?」という流れです。

 私もどちらかというと宿題をため込むタイプでして、徹夜して終わらせる毎年恒例行事になっていました。今回のテーマでは、これを足掛かりとしつつ、私の問題へと置き換えて議論しましょう。すなわち「就職試験勉強を自発的にするにはどうしたら良いか?就職試験勉強をする時間の価値は高く、余暇時間の価値は低いのか?」というテーマです。

 私は9月上旬に就職試験を控えています。しかし殆ど勉強に手を付けていません。例え休みの日に予定がなかったとしても。やらなければ、と思うと苦しい気持ちになって来て、本当にお腹が痛くなるだけで、実際に行うことはありませんでした。

 やり始めてしまえば割と進められる勉強ですが、なぜこうも避けてしまうのか。まず第一に言えることは、やるべきことが曖昧にしか理解できていないという原因があるように思えます。いや、しかし参考書を一冊買ったし。これをとりあえずやれば良いのではないかと私は思う訳でございますよ。

 第二に考えられる理由として、絶対的に終わらない量が目の前に横たわっているというのはあるのではないでしょうか。確かにこれはありそう。今からどう頑張っても、目の前の参考書一冊も終わらないですからね。ではやらなくて良いのかと問われれば、終わらなくてもやるべきです。それは分かっているのに、私の無意識の領域で「勉強する」事の価値が「余暇を過ごす」事より価値が優位にならない。何故か。

 私はなぜ勉強をしたいのでしょうか。参考書を終わらせる為でしょうか。いいえ、知識を得るためです。知識を得ることは楽しいから、そのために勉強したいのです。参考書や就職試験はそのための手段でしかありません。

 では、今回の就職試験に落ちたらどうなるでしょうか。確かに来年はより厳しい条件になります。しかし可能性が絶たれるわけでありません。むしろ今年勉強した分優位に立てるはずです。私が受ける試験の問題傾向はそうそう変わらない試験なので、今年の参考書を使いまわしたって良い訳です。

 やるべきことが見えてきました。私は、合格するために勉強する必要はないのです。ただ楽しんで勉強すればよい。そのために必要なことは、参考書を読みながら自作の問題集を作ることです。既に途中までできた問題集を解き直して知識をカバーすることは、とりあえず考えなくて良いのです。今年の試験は思い切って捨ててしまって、来年の試験に標準を移し、次こそ確実に楽しんで試験勉強できるように少しずつ進めれば良い。

 とはいえ、仕事の日にまでやろうとすると心がすり減ってしまいそうなので、仕事の日はしなくて良しとしましょう。現時点で仕事の日は30分しか余暇時間を取れていませんから、ここで勉強を入れてしまうと、息が詰まりそうです。

 ……うーん、休日の余暇時間の最大数も決めておいた方がより計画を立てやすそうです。しかし現在は強制的に入って来る余暇時間がないので割と自由に決められますが、連続ドラマを観たり、アニメのDVDが届いたりするとどうしてもそちらを優先せざるを得なくなります。

 アニメのDVDについては、現在観ているものを消化したら契約を止めてしまうのも一つの手かもしれません。月に6時間は余暇時間を持っていかれる計算になりますので。その時間を勉強に充てれば、週に1時間以上は勉強できる訳か……。

 余暇時間……あまったひまな時間か。とりあえず毎日30分の余暇時間を確保することは自分との約束として、それ以上については保留かな。

 さて「就職試験勉強を自発的にするにはどうしたら良いか?」には「とりあえず今年合格することは諦めて、来年以降のためのアドバンテージとして勉強する」という結論を得ました。では「就職試験勉強をする時間の価値は高く、余暇時間の価値は低いのか?」についてはどうでしょうか。

 余暇時間は「あまったひまな時間」です。時間が余らない環境というのは、時間泥棒に時間を盗まれている環境であり、とてもキツイと思います。しかし余暇時間よりも勉強時間の方が優先されるのは、勉強時間が余暇ではないからです。

 一番良い結論は「勉強時間を余暇に組み込んでしまう」ことのように思えます。「あまったひまな時間」で勉強するわけです。

 そもそも「あまったひまな時間」とは、どういう事でしょうか?時間は一日24時間ときっちり決まっており、その配分は誰にも変えることができません。それなのに余ったとか余らなかったとか、おかしくないですか?

 私の一週間の余暇時間の最大は16.5時間ほど。これを何に使うか、配分を考えていけばよい訳ですね。今は読書に9.5時間、映像に5時間、ゲームに2時間使っています。勿論、週によって増減はありますが。

 このうち映像は自力でコントロールすることが現在は難しい分野なので手つかずとして。ゲームもこれ以上削ってしまうとなくなってしまうし、なくしてしまうには惜しいのでとりあえずこのまま。となると、あとは読書を切り崩しますか……。

 現在、余暇時間は「読書:映像:ゲーム=3:2:1」となるように組んでいます。ここに勉強の柱を加えて「読書:勉強:映像:ゲーム=4:3:2:1=6.6:5.0:3.3:1.7(時間)」となるわけですね。映像が一週間に3時間ちょっとというのは、DVD1枚分が1.5時間としてもバッファがあってよろしいですし、この配分でまずは運用してみようかな。

 よし、やる気が出てきました!頑張るぞ!

 今日のテーマは「時間の価値」で小テーマは「就職試験勉強を自発的にするにはどうしたら良いか?就職試験勉強をする時間の価値は高く、余暇時間の価値は低いのか?」でした。まず自発的に勉強するためには、目標を来年の試験にシフトして、そこまでのアドバンテージを今から少しでも作ることを意識すること。次に時間の価値については、勉強を余暇時間で行うこととし、余暇時間とのバランスを考えて配分すること。という結論になりました。今回は哲学的というより、実践的な結論になりましたね。

 

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